夜間学校開放について

小学校の運動場と講堂を地域の方に使ってもらおうという意図で、以前から小学校の夜間開放というものが行われていたそうです。

当初は成人を対象に施設を開放していたようなのですが、今年に入ってからかどうなのかは良く分かりませんが、とにかく、ここ最近になって小中学生も利用OKということに変わったらしいのです。

地域の子どもたちのために、学校施設を有効に利用してもらう。

その理念について異議は無いのですが、問題はその管理方法です。
今年の夜間開放は昨日で終わったようなのですが、今年の夜間開放があった日のことを振り返ってみれば、まあ、我々にとっては害しかありませんでした。


夜の8時30分過ぎに小中学生が大声でしゃべりながらその辺を徘徊する。
コンビニの前でたむろする。
新風館の前の花壇でたむろし、騒ぐ。注意をしても言うことは聞かない。


まあ、迷惑なことこの上ないわけです。

でまあ、とりあえず、昨日小学校に電話をして「どないなっとんねん」と聞いてみました。
教頭先生曰く、「学校開放の実際の運営は教育委員会の学校施設開放運営委員会に委託された、地域の方々がほぼボランティアでなさっていて、学校の職員は一切管理していないし、権限も無い。ただ、何かあっては困るので、私(教頭先生)が残って見ている事もある。」
とのこと。

そして、こういう苦情の電話が多々学校に入ってきていて、その度に事情を説明しておられる模様。
先生としては、対応策も練らずに子どもにも施設を開放するようになってしまって困っている。そんな感じでした。

そんなわけで、今日、北風がその「教育委員会 生涯学習科 地域教育科 学校施設開放運営委員会」(長い名前ですな)に電話をしたのです。

担当の方曰く、「実際の運営は地域の方々に一任しているので、細かいことは把握していない。確認の上、折り返し連絡する」とのこと。


『必殺!「たらい回し」!!!』をくらってるなう


なんですかね。そうでないと良いのですが。


まあ、いずれにせよ、今後何かあったら我々が我々なりに対処する、という方針は変わらないのですが、こういう問題はそこかしこで起こっているはずです。

責任者にはきちっと仕事をしてほしいものです。

こどもに与える前に

仲間はずれ、誹謗中傷が怖い 大人がネットをやめられない理由

大人ですらこうなんです。
いわんや中学生をや。


もちろん、ネットという仕組みそのものが悪いのではありません。

きちんと自分を管理して、正しく使えばあんなに便利なものは無いと思います。
ただ、大きな力を持つ道具正しくを扱うには、それなりの知識と良識が必要です。

生活をしていくのに包丁は必要不可欠なツールですが、赤子や幼児には触れさせませんよね。
それと同じことです。

そんなわけで「安易に中学生にスマホを買い与えるのは危険なんだ」ってことを理解する親御さんが増えて欲しいなと思います。

目で見える教科

明日は理社の授業がある日です。
明日になれば台風も遠ざかり、夜は星が良く見えると思いますので、理科の時間の後は星空でも見てみようかと思っています。

日本のどこでも見やすい星座のひとつのオリオン座は、この時期だと授業が終わったころにはまだ東の空から出てきたばかりで、おそらく明日は見えないのではないかと思います。

それなのに、季節が冬に近づくにつれて少しずつ見えるようになってくる。
なんてことが、自分の目で確認できるわけですから、理科というのは面白いなと思うわけです。
というか、思ってほしいな、と願っているわけです(笑

学力と人間力

秋のこの時期はいろいろな私立高校の説明会に行き、
各高校の先生方からそれぞれの思いが詰まったお話を伺う機会が多いです。

そんな中で、

「本校は学力だけでなく、人間力、人間性も育みたいと思います」

といったような言葉がよく出てきます。
とくにここ数年で増えたような気がしています。

この言葉自体には何の異論も無いのですが、聞いているとどうも「学力と人間力には相反関係がある」、つまり、「学力を鍛えると、人間力は下がる」という前提でお話をされているような気がします。

「勉強ばっかりしてると、人としておかしくなる」

とでも言いたげな論調なんですね。

要するに、こういうときの「学力」はおそらく、「テストで点数を取る方法を身につけている」「入試で合格する知識と技術を有している」という意味で使われているのでしょう。そういう物の見方を否定するつもりはありません。


ただ、我々は他者とのコミュニケーションであったり、自分の感情のコントロールであったり、そういうことができるようにするために必要なことのひとつが、勉強をすることだと考えています。

たとえば。
何かが原因で友人ともめました。困りました。そういうときに、

・何でそうなったのか、原因を考える。
・原因をもとに解決すべき方法を考える。
・考えるときは物事を俯瞰し、多面的な見方をしながら考える。
・感情に流されること無く、論理的に考える。
・何かを伝えなくてはならないときは、伝える方法や言葉を考えて、きちんと誤解無く伝わるように努める。

などなど、こういうことをしなければならないと思います。
こういう思考方法を身につけるのに最適なトレーニングのひとつが勉強なんじゃないのかな、と思うわけです。


もちろん、これは新風館の方針であって、各学校がどういう方針であるかは自由なのですが、なかなか我々と同じようなことを考えている高校には巡り合えません。

巡り合っているけれども私が気がついていないのか、それとも運が悪いのか、はたまた、そもそもそんな高校は存在しないのか。

そのうちのどれなのかは分かりませんが。

2学期中間テスト結果報告

○中学生総合
3教科合計 210点(1教科平均 70.1点)
5教科合計 336点(1教科平均 67.1点)

○中1総合
3教科合計 191点(1教科平均 63.6点)
5教科合計 302点(1教科平均 60.5点)

○中2総合
3教科合計 219点(1教科平均 73.0点)
5教科合計 325点(1教科平均 65.1点)

○中3総合
3教科合計 218点(1教科平均 72.8点)
5教科合計 362点(1教科平均 72.4点)

・中3
Aクラス
3教科平均 247点(1教科平均 82.2点)
5教科合計 410点(1教科平均 82.0点)

Bクラス
3教科平均 148点(1教科平均 49.3点)
5教科合計 242点(1教科平均 48.3点)

・中2
Aクラス
3教科平均 279点(1教科平均 92.8点)
5教科合計 459点(1教科平均 91.7点)

Bクラス
3教科平均 264点(1教科平均 88.0点)
5教科合計 376点(1教科平均 75.2点)

導入クラス
3教科平均 178点(1教科平均 59.4点)
5教科合計 246点(1教科平均 49.3点)

・中1
Bクラス
3教科平均 272点(1教科平均 90.7点)
5教科合計 447点(1教科平均 89.4点)

・導入クラス
3教科平均 167点(1教科平均 55.8点)
5教科合計 261点(1教科平均 52.2点)


全体的に点数は良かったですが、平均点も高かったようですから、手放しには喜べません。
それでも、中3の数学で100点の子や、中2の理科で100点の子もいましたから、それはすごいことだな、と思います。

ただ、中3のBクラスと中1,2の導入クラスの点数は相変わらずえらいことになっています。
五教科で100点台の子がごろごろいます。

そういう子達はまだ入塾したての子達なのでまだまだこれからなのですが、案外長いこと在塾しているのになかなか結果が出ない子もぼつぼついます。
前進はしているのですが、「受験に間に合わせる」ということを考えるともっと加速しないといけない。
そういうことを分からせないといけません。


先日も書きましたが、中3Bクラスはかなりまずい状態です。
とにかく学力云々の前に精神面が幼すぎます。
急激に大人になるわけでもありませんが、それでも少しでも大人に近づけさせなければ先はないでしょう。

中間テスト途中経過報告

中間テストの結果がほぼ分かりました。
#提出していないのはあとひとりだけです。

中3なのですが、

・中3
Aクラス
3教科平均 247点(1教科平均 82.2点)
5教科合計 410点(1教科平均 82.0点)

Bクラス
3教科平均 148点(1教科平均 49.3点)
5教科合計 242点(1教科平均 48.3点)

というように、Bクラスは後がなくなってきました。

このままでは公立高校の受験ができなくなるでしょうから、切羽詰った感じにならなくてはいけないのですが、
Bクラスの子達の頭の中は「合唱コンクール」で一杯です。

だから、こういう結果になっているということがなかなか分からないみたいです。困りました。

人物重視だそうですよ

国公立大、2次の学力試験廃止 人物重視、面接や論文に??教育再生会議検討

なんだそうです。もちろん、私は反対です。
反対する理由は多数ありますが、今回は3点だけ。

>「知識偏重」と批判される現在の入試を見直し

大学に入るのに「知識偏重」であるのに何が悪いのか、と。
最高学府が勉学を軽んじるのは、自らの存在意義を否定することに他ならないでしょうよ。

テストで点を取る方法、実社会になんらの応用も効かない知識ばかりだけを身につけてしまうのが良くないというのであれば、その問い方を変えるべきです。あくまでも、学生には知力を要求すべきだと思います。

>1次試験で大学入試センター試験を基にした新テストを創設。

ちょっと前にはセンター試験をなくすとか何とか言っていたと思うのですが、どうなってるんでしょうか、その辺は。

>「人物評価」を重視する

人物評価って、何をどう評価するのでしょうか。

評価の基準が明確になれば、それこそ「試験で通るための面接テクニック」だけを身につけて面接にやってくる子が多数出てくるでしょう。
評価の基準が曖昧で、各教授の裁量に任せられた場合は、おそらく不正が多発するでしょう。それこそ、裏金という言葉が死語になるかもしれない(笑

例えば、一ヶ月くらい研究室なりゼミに通わせて、朝から晩まで実験をさせ、輪講をさせ、レポートを提出させ・・なんてことをさせてから判断する。
それくらいすれば案外正しい評価ができるかもしれません。

そうであるならば、賛成しなくもないです。


もちろん、今の入試制度に何の問題も無いわけではないので、まずい点はどんどん改善すべきだとは思います。
ですが、あくまでも入試というものは「知力」を求めていて欲しいな、と思うのです。

だって、知力を求められて不合格だったら単に勉強不足ということですけど、人間を求められて不合格だったら人間性の否定ですよ。「お前、人として不合格」ですよ。そっちの方がキツイと思うんですけども。

なんかすごいやつが来た

先日、中3生が差し入れたくれたものです。

20131009.jpg

先端のカボチャが光るさまを動画で撮ろうとしたのですが、自分の電話では動画が撮れないことに先ほど気がつきました(笑

提供してくれてありがとう。
今度、機会があったら必ず使わせていただきますので。

あとひと月ちょっとで

昨年はいろいろ事情があって合宿ができませんでしたが、今年は来月に合宿を行うことになりました。
行くメンバーが企画をして、計画通りに実行する、いうスタイルは例年通りですが、今回合宿に行くのは高校1・2年生のみです。

合宿まであとひと月ちょっとになりましたが、段々話がまとまってきました。


アイデアを出し、実現可能かどうか検証し、具体的な方法を煮詰めていく。
仕事をする上で必須のことばかりです。

高校生のお手並み拝見、ですね。

辞める理由 その2

勉強するのがイヤになったから辞める。
こういう分かりやすい理由で辞めていく話を前回書きましたが、今回は新風館特有の退塾理由の話です。

その子たちは勉強するのが主観的にはイヤになっていません。
むしろ、自分はやる気はある、怠けてなんていないし、真面目にやっている、と本人は思っています。

主観的な理由としては「新風館のやり方が自分には合わない」というものです。
問題は、何をもって「自分には合わない」と言っているかです。


我々は、必ず「なぜそうなるのか」を子どもたちに求めます。
勉強する上で学ぶことには、必ず何らかの理由・原因があり、その理由・原因を出発点として、論理的に筋道を立てて話をすすめていけば、必ず、その答えの理由を説明できます。
#もちろん、高校生以下が学ぶことに関してのみ、のお話です。
#人類が全ての科学的な疑問を解決している、なんてことを言っているわけではありません。

例えば、「分数の割り算をするとき、割るほうの分子と分母がひっくり返る理由」
なんてのも、案外みんなは無意識にやっていますが、きちんと理由があります。

そして、その理由をきちんと理解して納得するからこそ、勉強する意義があると我々は考えていますし、「理解」の支えが無い「記憶」はとても弱いものです。すぐ忘れてしまうことが多いですし、他で応用が利きません。

極端なことを言えば、

「What's this?」=「これは何ですか」

という事実だけを呪文のように覚えてしまった人は、きっと「あれは何ですか」という英文を思いつけないはずです。英会話ができれば良い、という発想しかないならば「わっつでぃす」という音だけ覚えておけば、確かに相手に伝わるかもしれません。
でも、それだけです。そこから広がりはありません。


「ようわからんけど、こうやってやればちゃちゃっと答えは出る」

そういうやり方のほうが、その場は教えるほうも教わるほうもラクですし、「テストの点数」という点だけ見れば、結果が出るのも早いです。
良いことづくめに見えますが、そうやって覚えたことは案外すぐに忘れます。そして、その他のことに応用が利きませんので、似たようなことも、また別件として覚えなおさなければいけません。
#算数的な具体的な話は以前『「みはじ」の害と罪」』という記事で書かせいただきました。


こういうやり方には我々は意味は無いと考えています。
何度も書きますが、我々は「なぜそうなるのか」「その答えが出た理由は一体なんなのか」を、必ず子どもたちに問います。

こういうやり方は、一見とても迂遠に見えます。
なかなか答えを出せませんし、故に、なかなか勉強が進みません。捗っていないように見えることも多々ありますが、最終的にはこのやり方が一番の近道だと思っていますし、これが学問の王道だと思うのです。


しかし。
実は、勉強をするときに「理解をする」ということが必要でないと考えている方が案外多いというのも事実です。

勉強なんて将来何の役にも立たない。
でも、社会で学歴は必要。
なので、理解するかどうかは置いといて、とにかく楽をして、最短コースで学歴さえ手に入ればよい。
つまるところ、テストで点数を取る。合格をする。それが正義である。

こういう思想です。
「学歴」以外に勉強する理由を見出せない人が陥りやすい考え方です。
実は、案外多くの人がこういう風に考えていることも、我々は知っています。
むしろ、こちらが主流なのかもしれません。

世にはびこるこういう思想に心を侵食されると、我々のやり方、何事も道理を理解してからというやり方が間違っているのではないか、という気がしてきます。
そして、我々の言う事をないがしろにし、理由を考えずに結果だけを求める方法を追求し始めます。
すると、今までなかなか結果が出ていなかったのに、突然テストの点数がぐんぐん上がるときがあります。
良く分かっていないような気がするのに、点数だけは上がるもんだから「これはすごい!」と錯覚します。
我々がとる方法が色あせて見え、手軽に点が取れる方法に魅力を感じ、結果、新風館を辞めていきます。


端から見れば「やり方が合わないから辞めた」だけなんでしょう。
しかし、実はそうではないんです。

生徒にも良く言うのですが、この一連の話を例えると、


バイクのレースにでなければならなくなった。
とはいうものの、現状はバイクの乗り方も知らないから、まずはバイクの乗り方から学ばなければならない。

なのに、「今の自分には自転車が合っている」とか言って、自転車の乗り方ばっかり練習している。
「バイクは大変。手軽に乗れる自転車がいい」とか言って、とにかく速く漕ぐことばっかりやっている。

それなのに、本人は「いずれバイクのレースに出て、勝ってみせる」と、豪語している。
確かに、自転車は速くなるでしょうけどね。でも、出なきゃいけないのはバイクのレースなんですけど?


・・・こんな感じです。
これでも、実は本人的には頑張ってるつもりなんです。
頑張って頑張ってペダルを漕いで、汗をいっぱいかいて、そして、頑張った気分に浸っている。

でも、それは完全に無駄なことなんです。

なので、辞めてく子は「合う・合わない」と話をすり替えていますが、実は「間違った自分のやり方・考え方を捨てたくない」というだけの話です。

平たく言えば辞めたい子は「自分は分かりたくない。ただ、点が取れれば良い」と宣言をしている。
それに対し、我々は「No」と言う。だから、辞めていくんです。

こんな理由で生徒が辞めていくのは、きっと新風館だけだと思います。
なぜかといえば、世の中のほとんどは「点を取るのが正義」なんですから。


「点が取れればそれが正義」という考えを否定する以上、「何のために勉強するのか」という問いに対し、各個人がそれぞれの答えを持たなければなりません。

答えはなんでも良いのですが、少なくとも、正面から真摯に取り組んで、うんうん悩んで答えを出さなければならないでしょう。
そこから逃げて点を取ることを目的にすりかえてしまえば、確かにラクかもしれません。

しかし、「何のために勉強するのか」という問いは、将来「何のために生きるのか」という問いに変化をしていくと思うのです。10代の柔らかい頭で、「何のために勉強するのか」ということを考えさせないなんて、もったいなさ過ぎます。


「何のために勉強するのか」ということを、もっとみんなに考えていただくために我々ができることはなんなのか。

もうずっと考えていますが、なかなか難しいです。
この日記もそのひとつだったりするんですけども。

辞める理由 その1

2学期が始まってひと月が経ちました。
このひと月の間に入塾してくれた子もいれば、9月いっぱいで退塾した子もいます。

「退塾しそうな子をいかに引き止めるか」という点に力を入れる塾もあるようですが、新風館では基本的には引き止めることはしません。「今辞めてしまったら非常にもったいない」という子については、現状を説明して理解してもらおうとすることはありますが、その程度です。

一度気持ちが離れてしまうとなかなか気持ちが戻るのは難しく、それでも大抵の子は言い出したらやめてしまいます。止めても無駄なんですね。


気持ちが離れてしまう原因はいろいろあると思います。

大体の中学生というのは、勉強はしなければいけないことは分かっています。
しなければいけないのですが、したくは無い。できるならしんどいことはしたくない。でも、成績は上げたい。

こういう虫のいいことを考えている子がほとんどです。
まあ、「濡れ手で粟」ということわざがあるように、こういう思考を昔から人間はするものなのでしょう。
つまり、大人も似たようなものなので(笑)、そこは大人も反省しないといけません。

それはさておき。

そういう状態で塾に来ても、通ううちに「ああ、虫のいい話は無いのだな」と納得してくれれば良いのですが、なかなか納得できない子、納得したとしても、そういうボタ餅をいつまでも期待してしまう子も一定数いるわけです。

そういう子は来もしない牡丹餅をいつまでも待ち続けるので、だんだん塾に通うのがイヤになっていきます。
そして、挙句の果てには、毎日辞める理由だけを探して塾に通い続けるようになります。

結果、

進路について厳しいことを言われた。
忘れ物をしたので罰ゲームをさせられた。
適当にしていたら叱られた。

こういう少しでもイヤなことがあったら、その事実を親に過大に報告して辞めようとします。

『こういう子どもの報告はあくまでも「子どもの主観」であって、真実ではない』と思っている親御さんや、我々を信用してくださってる親御さんは、そこで子どもを諭すなり、我々に何らかの確認を取るなりして、事態の収拾を図ってくださります。本当にありがたいことです。

感謝してもしきれませんし、そういうご家庭に育っているお子さんは幸せだなあ、と強く思います。私もそういう親でありたいなと感じています。


しかし、そうでない親御さんも、もちろんいらっしゃるわけです。
そういう親御さんが子どもの言ったことを額面どおりに評価してしまうと、そらもう我々は「超悪者」扱いです。
我々は人殺しかなんかですか、というくらいくそみそに言われます(笑)
で、結果、あっさり辞めてしまいます。

親御さんは子どものためを思ってやっているのですが、実はかえって子どもの黒い思惑にまんまと乗ってしまっている状態なのですが、それを我々が指摘することはできません。何せ、我々は「超悪者」ということになっていますので、我々の言葉は一切届かないのです。

そういう事態にならないように細心の注意は払うのですが、我々も人の子です。全てを防ぐことはできません。
ですが、やはりそういう事態が起こってしまうと、甚だしく凹みます。いろんな意味できっついなあ、と思います。

「辞める」と言い出した子をなだめすかして、悪く言えば「飼い殺し」にして塾に在籍させ続けるようなところもあるようですが、我々はそういうことはいたしません。そんな努力をするくらいならば、こういう事態にならないように、本人の意識を変えるほうに力を注ぐべきだと考えているからです。

とはいえ、完璧はやっぱり無理なんですね。残念ながら。


・・・と、辞める理由としてよくあるものを書いてみました。
がしかし、こういう辞めかたは実は新風館に限らず、全国どこの塾でも起こっている現象だとは思います。
今まさにこの瞬間にも、こういう理由で塾をやめている中学生がいるんと違うか、というくらいありふれた現象です。


しかし。
実は新風館だからこそ起きる、退塾の理由があります。
我々を悩ませている、その退塾の理由。


それは、長くなったので後日書かせていただきます。

つづく。

塾長の北風が本を出しました。



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さくらい@新風館

Author:さくらい@新風館
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