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「みはじ」の害と罪

いわゆる「みはじ」という図があります。

20130606.jpg
こんなのです。
「み」の部分を「き」にして、「はじき」という場合もあるようです。

学校や塾で、速さの問題を解くときにこの図を使わせるようです。

「ようです」という表現なのは私はこれを使って速さの問題を解かせたことが只の一度も無いからです。
学生時代やっていたアルバイトも含めればかれこれ18年近く塾講師をしていますが、これを使って教えたことはありません。そして、自分もこれを使って考えたことがありません。
#この日記のために図を書きましたが、書き方を忘れていました。人生で10回くらいしか書いたことが無いと思う(笑

「教えずに済んでいるのは、そういう賢い子ばかり見ているからだろう」

なんて言われるかもしれませんが、昨日のテストの結果報告を見てもらえれば分かるとおり、そんなことはありません。なのですが、速さを教えるときにこの図を使わなくても、全ての子が理解してくれます。少なくとも、高校受験までには全員がなんとかマスターしています。



このいわゆる「みはじ」の図は、全ての子に速さの問題を手早く解かせるために使われているのだと思います。
そのはずなのですが、この図を使わないと問題を解くことができない子を量産しているだけになっているのが現状です。

体験入塾に来た中学生に速さの問題を解かせると、手が出ないか、この図を描いて解いているかのどちらかです。
この図を使って解いた子に「この図を描かずに問題を解ける?」と聞くと、非常に困惑した顔をします。『そんなことは不可能。このおっさんは何を言ってるんだろう?』という顔ですね。

全く手が出なかった子に話を聞いてみれば、この図を思い出せなかったり、使い方を忘れてしまったり、つまるところ、この「みはじ」ができないから、速さの問題ができない、と思い込んでいます。「速さ」の概念を理解するのではなく、あの「みはじ」の使い方を理解することが、速さを理解することだと思っているのです。

そう思わせている原因は「みはじ」で速さの問題を解けと教えたからでしょう。そうだとしたら、その罪は重いですよ。



意味も分からず「みはじ」の使い方だけ覚えて答えを出したところに、それに一体何の意味があるのでしょうか。

「テストの問題が解けるから良いじゃないか」と言われるかもしれません。
しかし、意味も分からずにただただ作業として問題を解くという作業は、勉強とは言えません。それはただの苦役です。苦労をするだけで、ほとんど成果と意味が無い。

たとえば、時給800円で5時間働いたとき、いくらもらえるか分からない大人はいないでしょう。そのとき、頭の中に「みはじ」が出てきますかね。出てこないと思うのです。出てこないということは、「みはじ」を使わなくても速さの問題は解けるということです。

ある発想・考え方が、工夫次第でいろんな問題に利用できる。それに気づくことが勉強の楽しさであるし、それこそが「頭を使う」ということでしょう。こういうトレーニングを積み重ねることで、創意と工夫ってやつができるようになるはずなんです。



「分を時間に直すと分数が出てくる。分数の計算のときに大変だから図を使ったほうがよい」

こういう反論が出そうです。
ですが、それは速さが分かっていないのではなく、分数の乗除の理解の問題です。そこをきちんと理解できていれば、やっぱり「みはじ」は要りません。

つまり、「みはじ」に頼って教えてしまうと、生徒が速さ以外のこともそういう浅い理解しかしていないことにも気がつけません。

気がつけないということは、改善もできないということです。

そういうことがいろんな単元で起こってしまっているのに、長い間浅い理解のまま放置して受験生に。そうなってしまうと、教わる側も、教える側も大変です。


「みはじ」は教わる側にとっても、教える側にとっても害でしかない。
私はそう思います。

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